私たちが「推し」に出会う瞬間は、だいたい無防備だ。
ふと流れてきたMV、友人の一言、深夜のおすすめ欄。
――気づけば、心のどこかに灯がともっている。
『【推しの子】』は、その灯を優しく守ってくれる作品ではありません。
むしろ、手のひらの上でいったん温めてから、唐突に風を吹きつけてくる。
それでも私たちは目を逸らせない。なぜなら、そこに描かれているのが「芸能界」ではなく、私たち自身の感情だから。
この記事では、まず「漫画の作者は誰?」という疑問に明確に答えたうえで、
赤坂アカ×横槍メンゴというタッグが、なぜ“禁断の物語”を成立させたのか。
制作の分業や発想の出どころ、そして読者の心を刺す構造まで、深掘りしていきます。
【結論】『推しの子』漫画の作者は赤坂アカ×横槍メンゴ
結論から言えば、『【推しの子】』の漫画作者は原作:赤坂アカ、作画:横槍メンゴの二人です。
公式のクレジットとしても、集英社(週刊ヤングジャンプ)の原作公式サイトに明記されています。
参考:週刊ヤングジャンプ『【推しの子】』原作公式サイト
また、少年ジャンプ+の掲載ページでも作品名の下に「赤坂アカ×横槍メンゴ」と表示され、両名による制作であることが確認できます。
参考:少年ジャンプ+『【推しの子】』第1話ページ
原作は赤坂アカ、作画は横槍メンゴという明確な分業体制
この作品の面白さは、「豪華タッグだから」だけでは語れません。
重要なのは、分業の切れ味です。
赤坂アカは、物語の骨格を設計する人。
一方の横槍メンゴは、キャラクターの息づかいを視覚化する人。
その役割分担は、インタビューでも“線引きがはっきりしている”ことが語られています。
参考:Full Frontal(英語)赤坂アカ&横槍メンゴ インタビュー
ここで大切なのは、分業が「効率化」のためではなく、作品の温度を最適に保つために働いている点です。
芸能界の話は、ほんの少し描き方を誤るだけで、読者の心が離れる。
“リアル”が強すぎても苦しくなるし、“嘘”が多すぎても醒めてしまう。
そのギリギリの温度帯を保つために、構造と感情を別々の手で握っている――私はそう感じます。
この2人でなければ成立しなかった理由
赤坂アカの武器は、明確です。
「面白い」に見せかけて、読者を“自分の痛いところ”へ連れていく設計。
笑いのあとに、胸の奥へ針を刺す。
そして横槍メンゴの武器も、明確です。
言葉にならない感情――たとえば、愛と自己嫌悪が同居する瞬間を、瞳や頬の影で描けること。
それは、読者に説明するための絵ではなく、読者の心を動かすための絵です。
この二つが噛み合ったとき、『【推しの子】』は単なるサスペンスでも、業界漫画でもなくなります。
“推す”という行為そのものが、物語として立ち上がる。
それが、この作品の恐ろしさであり、美しさです。
赤坂アカとは何者か?『推しの子』に込めた“冷酷な優しさ”
赤坂アカという作家を一言で表すなら、私は「感情の設計者」だと思っています。
ただ泣かせるのではない。
ただ笑わせるのでもない。
読者が“泣く理由”や“笑う理由”を、作品の中にきちんと埋め込む人です。
『かぐや様』とは真逆のテーマに挑んだ理由
『かぐや様は告らせたい』で見せたのは、恋の駆け引きという軽やかな戦場でした。
けれど『【推しの子】』で赤坂アカが描いたのは、もっと静かで、もっと残酷な戦場。
それは、誰かを好きになることの裏側にある、「自分が救われたい」という欲望です。
推しを応援しているつもりで、実は推しに“自分の人生の穴”を埋めてもらっている。
推しが笑ってくれることで、今日を生き延びられる。
この感情は、美しい。だけど同時に、危うい。
赤坂アカは、その危うさを“娯楽”の顔で差し出してきます。
芸能界・承認欲求・転生設定に込めた意図
『【推しの子】』には転生というギミックがあります。
しかしその設定は、現実逃避のためのファンタジーではありません。
むしろ、現実をさらに鋭く切るための刃です。
前世の記憶を持つということは、
「夢の終わり」も「幸福の代償」も知ったうえで舞台に上がるということ。
だから登場人物たちは、時に幼く、時に大人すぎる。
そのアンバランスさが、芸能界という歪んだ環境と、恐ろしく相性がいいのです。
さらに、承認欲求の描写。
SNS時代の今、承認欲求は“心の奥”ではなく“画面の上”に表示されます。
いいね、再生数、コメント、炎上。
『【推しの子】』は、現代の感情がどれほど簡単に煽られ、簡単に傷つくのかを、構造として提示します。
横槍メンゴの作画が『推しの子』を“生きた物語”にした
物語の骨格がどれほど優れていても、
そこに「人間」が住まなければ、読者は感情移入できません。
横槍メンゴの作画は、キャラクターを“説明できる存在”ではなく、“理解しきれない存在”として描きます。
だからこそ、彼らは生きて見える。
瞳と沈黙で感情を語る作画表現
横槍メンゴが描く「目」は、特別です。
目の中の光の置き方ひとつで、
期待、恐怖、虚勢、諦め、愛情が変わってしまう。
しかも『【推しの子】』には、象徴的な意匠がある。
アイの瞳に宿る星――あの表現に関しては、対談記事で“メンゴ先生の絵から連想した”という趣旨の話が語られています。
参考:集英社オンライン:赤坂アカ×横槍メンゴ対談(アニメ化決定記念)
つまり、物語の象徴そのものが、作画から生まれて原作へフィードバックされている。
これがタッグ作品の強さです。
原作が作画を支え、作画が原作を更新していく。
ふたりの間に“化学反応”が起きているから、作品の熱量が落ちない。
アイドルの「作られた笑顔」を描ける作家性
アイドルは、笑顔を仕事にします。
笑顔は武器であり、商品であり、そして鎧です。
『【推しの子】』が怖いのは、その鎧の内側にある“素肌”まで描いてしまうところ。
横槍メンゴは、
「完璧な笑顔」を描けるだけでなく、
完璧な笑顔がほんの一瞬だけ揺らぐ瞬間を描ける人です。
その揺らぎは、読者にこう囁きます。
「この子は、いま無理をしている」
「この笑顔の裏側に、言えない痛みがある」
言葉ではなく、絵で。
だから私たちは、勝手に守りたくなってしまう。
なぜこの2人が組んだのか?編集部が選んだ“最適解”
『【推しの子】』の成立を語るとき、
“豪華タッグ”という言葉は便利ですが、それだけだと本質がこぼれます。
この作品は、テーマが強すぎる。
だからこそ編集部は、「売れる組み合わせ」ではなく、“壊さずに描ける組み合わせ”を選んだ――私はそう見ています。
企画段階から決まっていた異例のタッグ
赤坂アカは、ギャグでもシリアスでも読者を引っ張れる。
ただし芸能界の闇を描くとき、物語が“冷たくなりすぎる”危険がある。
そこに必要だったのが、体温を持った絵。
横槍メンゴの絵は、体温があります。
恋愛の痛みも、嫉妬も、孤独も、綺麗ごとにしない。
だからこそ、芸能界という舞台で起きる出来事が「他人事」にならない。
他の組み合わせでは生まれなかった理由
もし構造だけが強ければ、作品は鋭利になりすぎます。
もし感情だけが強ければ、作品は散漫になります。
『【推しの子】』は、そのどちらも避けた。
赤坂アカが物語を“締め”、横槍メンゴが感情を“滲ませる”。
その往復運動があるから、読者は置いていかれないまま、深いところまで連れていかれます。
そしてこの“相互作用”は、対談やインタビューの場でも垣間見えます。
たとえば作者二人が「今のアイドル像」について語り合う対談では、
単なる作品紹介を超えた、価値観のすり合わせが感じられます。
参考:arweb:赤坂アカ×横槍メンゴ特別対談
『推しの子』はなぜここまで心に刺さったのか
『【推しの子】』が刺さる理由は、芸能界の裏側を描いたからではありません。
刺さるのは、それが“推す”という感情の教科書になっているからです。
しかも、幸福なページだけではなく、破滅のページも含めて。
「推す側」と「推される側」を同時に描いた稀有な作品
多くの作品は、どちらか一方の視点に寄り添います。
ファンの側に立つか、芸能人の側に立つか。
でも『【推しの子】』は、両方を描く。両方の孤独を描く。
推す側は、しばしば無力です。
画面の向こうの人生に触れられない。
できるのは、見守ることと、祈ること。
だからこそ、時に暴走してしまう。
「自分の祈りを、正しいものにしたい」と思ってしまうから。
推される側は、常に“期待”にさらされています。
笑顔でいなければならない。
夢を見せなければならない。
期待を裏切った瞬間、愛が憎しみに反転することもある。
この両方を描くから、読者は逃げられない。
いつの間にか自分の心に問われてしまう。
「私は、誰かを推すとき、相手を人間として見ていただろうか?」
SNS時代と完全にシンクロした物語構造
SNSは、感情の増幅装置です。
喜びも、怒りも、悲しみも、拡散される。
そして拡散された感情は、いつの間にか“正義”という顔をする。
『【推しの子】』の中で描かれる炎上や誹謗中傷は、
単なる事件ではなく、群衆心理の構造として描かれています。
誰かを叩くとき、私たちは「自分は正しい側にいる」と信じたくなる。
その欲望が、最も怖い。
だから読者は震えるのです。
「これは遠い世界の話じゃない」
「自分も同じ場所に立ってしまうかもしれない」
そう思わせる強度が、この作品にはあります。
よくある質問|『推しの子』作者に関する疑問
Q. 『推しの子』の原作者と作画は誰ですか?
原作は赤坂アカ、作画は横槍メンゴです。
公式情報として、集英社(ヤングジャンプ)の原作公式サイトに明記されています。
参考:週刊ヤングジャンプ『【推しの子】』原作公式サイト
Q. 赤坂アカと横槍メンゴは他にも共作していますか?
現時点で、長期連載として広く知られる共作は『【推しの子】』が代表例です。
ただし対談や関連企画(音楽アーティストとの鼎談など)を通して、作品の周辺で二人の“共作的な化学反応”が見られます。
参考:アニメイトタイムズ:赤坂アカ×横槍メンゴ×YOASOBI特別対談
Q. 『推しの子』に実在のモデルはいますか?
特定の人物をモデルにしていると明言されたわけではありません。
ただし、作者が「複数の話を混ぜて特定されないようにした」旨の語りが紹介されるなど、
現実の業界感覚や周辺の声を参照していることはうかがえます。
参考:Manga Crave:赤坂アカ&横槍メンゴ インタビュー(英訳)
まとめ|『推しの子』は作者の感情設計そのものだった
『【推しの子】』の漫画作者は、赤坂アカ(原作)×横槍メンゴ(作画)。
このタッグは、ただの豪華共演ではありません。
赤坂アカが、物語を“逃げられない形”に設計し、
横槍メンゴが、感情を“見てしまう形”に描き切った。
その結果、私たちはページをめくるたび、自分の心に触れてしまう。
推すことは、幸福です。
でも時に、相手を縛り、自分も縛る。
『【推しの子】』は、その現実を否定しません。
ただ、静かに、私たちの手のひらに置いていきます。
そして最後に、私はこう思うのです。
あの涙は、キャラクターのものだけじゃない。
きっとどこかで、私たち自身の「好きだった記憶」を呼び覚ましていた。
情報ソース(参考リンク)
- 週刊ヤングジャンプ『【推しの子】』原作公式サイト(集英社)
- 少年ジャンプ+『【推しの子】』第1話ページ(集英社)
- 集英社オンライン:赤坂アカ×横槍メンゴ対談(アニメ化決定記念)
- arweb:赤坂アカ×横槍メンゴ特別対談(今のアイドル観)
- Full Frontal:赤坂アカ&横槍メンゴ インタビュー(分業・制作の話)
※本記事は公開情報(公式サイト、掲載ページ、インタビュー記事等)を参照し、作品理解を深める目的で執筆しています。引用・参照先は上記リンクをご確認ください。情報は閲覧時点の内容であり、最新情報は公式発表をご参照ください。
執筆・構成:桐島 灯(きりしま・あかり)|アニメ文化ジャーナリスト・ストーリーテラー
公開方針:「作品を“理解する”ではなく、“感じる”評論」をテーマに、感情と物語を橋渡しする批評記事として執筆しています。


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