「漫画なんて、なんにもなりません」
そう言い切る国語教師・手島零。しかし彼女の正体は、安海相が愛読する『ロボ太とポコ太』を描いた元漫画家「☆野0」です。
かつて誰よりも漫画に人生を懸けた彼女は、なぜペンを置き、「プロを目指さないこと」と生徒たちへ告げるようになったのでしょうか。
先に結論
手島零が漫画から離れた理由は、単純な才能不足ではありません。
漫画に命を懸けるほど自分を追い込み、さらに漫画を職業として続ける厳しい現実の中で心が折れてしまったことが、大きな背景にあります。
原作者・とよ田みのるさん自身も、手島を漫画への思いによって「破滅しちゃった人」と説明しています。
この記事では「ロストワールド」や公式情報、作者インタビューをもとに、手島零の過去、漫画を描かなくなった理由、そして安海との関係まで整理します。
※ネタバレ注意
TVアニメおよび原作漫画「ロストワールド」の内容を含みます。公式に明言されていない心理については、事実と考察を区別して記載しています。
- 『これ描いて死ね』手島零の過去とは?正体は元漫画家「☆野0」
- 手島零の漫画家時代を「ロストワールド」から時系列で整理
- 手島零が漫画を描けなくなった理由は?才能不足では説明できない
- 手島零の「プロを目指すな」は夢を否定する言葉ではない
- 手島零が教師になった理由は明言されていない
- 「ロストワールド」の意味とは?手島零が失った世界を考察
- アニメでは安海と手島が正反対の「まんが道」として描かれる
- 手島零の過去は作者・とよ田みのるの実話なのか
- 安海相は、手島零が失ったものを映す存在
- 手島零の再生は「漫画家に戻ること」だけではない
- 『これ描いて死ね』というタイトルは、手島零を知ると意味が変わる
- まとめ|手島零が漫画から離れた理由は、夢の中で心が折れたから
- 『これ描いて死ね』手島零の過去に関するFAQ
- 情報ソース・参考資料
『これ描いて死ね』手島零の過去とは?正体は元漫画家「☆野0」
手島零の過去を理解するうえで、最初に押さえておきたいのが「手島零=☆野0」という事実です。
現在の手島は王島南高校で国語を教えていますが、過去には漫画家として活動していました。
そして、安海相が何度も読み返すほど愛している『ロボ太とポコ太』を描いた人物でもあります。
TVアニメ公式サイトでも、第1話では安海が☆野0の『ロボ太とポコ太』を愛読していること、第2話では手島先生が憧れの☆野0だったことが示されています。
つまり手島は、漫画家になれなかったから漫画を否定している人物ではありません。
一度は自分が夢見た世界へたどり着いた人なのです。
重要なのは、彼女が「夢に届かなかった人」ではなく、「夢の中まで入った人」だという点です。
では、その夢の真ん中にいた手島に何が起きたのでしょうか。ここから「ロストワールド」で描かれた漫画家時代を時系列で追っていきます。
手島零の漫画家時代を「ロストワールド」から時系列で整理
手島の過去は、「ロストワールド」と題されたエピソードを通して少しずつ明かされていきます。
現在の彼女だけを見ると、漫画に否定的な人物に見えるかもしれません。
しかし若い頃の手島は、まったく違いました。
漫画家になりたい。
もっと面白い漫画を描きたい。
プロの世界へ行きたい。
その情熱を隠すことなく、創作の世界へ飛び込んでいたのです。
23歳の手島零は漫画家になる夢の真ん中にいた
TVアニメ第7話「ロストワールド〜殺すつもりで描こう」では、23歳の手島が編集者・金剛寺の勧めで、憧れの漫画家・へびちか先生のアシスタントになる姿が描かれています。
大ヒット漫画『スイートへびいちご』の制作に参加できることになり、手島は大興奮。公式あらすじでも、やる気にみなぎる日々を送っていたことが確認できます。
参考:
TVアニメ『これ描いて死ね』公式サイト 第7話あらすじ
この頃の手島にとって、漫画は「なんにもならないもの」ではありません。
自分の時間も、努力も、未来も預けたいと思えるほど、大切なものでした。
プロの現場へ近づき、☆野0として漫画を描く
金剛寺との出会い、へびちか先生の仕事場。
手島は少しずつ、読者として眺めていた漫画の世界の「内側」へ入っていきます。
そして☆野0として漫画を描き、『ロボ太とポコ太』を世に送り出しました。
ここで忘れたくないのは、手島が描いたものが消えたわけではないことです。
年月が経ったあとも、『ロボ太とポコ太』は安海の心に残っています。
手島本人が自分の漫画家人生をどう評価していたとしても、一人の読者にとって、その作品は人生を動かすほど大切な漫画になった。
作者が作品の価値を見失ったあとでも、物語は読者の中で生き続ける。
手島が描いた作品は確かに安海へ届きました。
それでも本人は、やがて漫画から離れてしまいます。作品が誰かに届いていたにもかかわらず、なぜ描き続けられなかったのか。次に、その理由を作者自身の発言から整理します。
手島零が漫画を描けなくなった理由は?才能不足では説明できない
なぜ手島零は、あれほど好きだった漫画から離れてしまったのでしょうか。
結論として、「才能がなくなったから」「漫画家に向いていなかったから」とだけ整理するのは適切ではありません。
作者の発言を重ねると、手島の挫折には大きく二つの要因が見えてきます。
理由①「これ描いて死ね」と思うほど自分自身を追い込んでいた
手島零を理解するうえで重要なのが、作品タイトルでもある「これ描いて死ね」という言葉です。
COMITIA公式インタビューで、とよ田みのるさんは手島について、次のように語っています。
「手島先生はそういう気持ちで描いて破滅しちゃった人ですからね。」
ここでいう「そういう気持ち」とは、「これ描いて死ね」と思うほど漫画に全力を注ぐ創作姿勢です。
もっと描かなければ。
もっと面白くしなければ。
結果を出さなければ。
その熱は、作品を前へ進める力になります。
しかし、自分の価値まで作品の出来と結びつけてしまえば、その熱はいつか自分自身まで焼いてしまう。
とよ田さんは同インタビューで、現在の手島は「それだと良くないんだ」という考えになり、生徒にもそう教えていると説明しています。
つまり手島の厳しい言葉は、机上の理屈ではありません。
自分自身がその描き方の先で傷ついたからこその言葉なのです。
理由②「漫画を描く」と「漫画で生きる」は別だった
もう一つ見落とせないのが、漫画を職業にすることの厳しさです。
Febriの対談で、とよ田みのるさんは、手島が安海たちへ「プロを目指さないこと」と釘を刺す考えに、自身も同意していることを明かしています。
漫画を描くこと自体と、それを仕事にして収入を得ながら暮らしていくことは別です。
とよ田さんは、漫画の楽しさだけでなく、漫画家という職業の厳しさまで描かなければフェアではないと考え、その思いを「ロストワールド」へ込めたと説明しています。
参考:
Febri「『これ描いて死ね』の原点に迫る! 原作・とよ田みのる×監督・赤城博昭 対談②」
趣味なら、描けない日に休むこともできます。
しかし仕事になれば、締切があります。
評価があります。
結果を求められます。
そして次も描き続けなければならない。
純粋な「描きたい」に、生活のための「描かなければならない」が重なっていきます。
好きなことを仕事にする美しさの裏には、好きなものから逃げる場所がなくなる怖さもあるのです。
手島零が失ったのは「才能」よりも描き続けるための心
そのため、「手島零は漫画を描けなくなった」という言葉も、少し丁寧に捉えたほうがいいでしょう。
ペンの持ち方を忘れたわけではありません。
漫画の作り方が分からなくなったわけでもない。
実際、現在の手島は安海たちへ漫画制作の基礎を教えています。
失ったのは、もっと内側にあるものだったのではないでしょうか。
以前と同じように、自分の心を漫画へ差し出すことができなくなった。
描けば、楽しかった記憶だけではなく、挫折した記憶まで戻ってくる。
手島は漫画がどうでもよくなったから離れたのではなく、どうでもよくできないほど深く傷ついたと考えるほうが自然です。
そして、この経験を知ると、現在の手島が安海たちへ「プロを目指さないこと」と釘を刺す理由も見えてきます。
手島零の「プロを目指すな」は夢を否定する言葉ではない
手島が安海たちへ伝える「プロを目指さないこと」という忠告。
表面だけを見ると、若者の夢を否定する冷たい言葉にも聞こえます。
しかし、作者の説明を踏まえると、その意味はむしろ逆です。
手島は「漫画を描くな」と言っているわけではありません。
「プロになることだけを、漫画を描く価値にしないでほしい」
そう伝えているように見えます。
漫画は、プロにならなくても描けます。
誰かに読んでもらえる。
好きなものを作れる。
完成した喜びを味わえる。
その楽しさは、売上や肩書きとは別の場所にあります。
ところが「プロになれなければ意味がない」「売れなければ失敗だ」と考え始めると、創作そのものの喜びまで結果に支配されてしまう。
手島は、その危うさを誰より知っています。
だから簡単に「夢を追えばいい」とは言えない。
それは夢を知らない大人の言葉ではなく、夢の代償まで知ってしまった大人の言葉なのです。
では、漫画家としての人生を終えた手島は、なぜ教師として生きているのでしょうか。ここは公式情報と考察を分けて見ていきます。
手島零が教師になった理由は明言されていない
「漫画家を辞めた手島は、なぜ教師になったのか」という疑問もあります。
ただし、この部分は事実と考察を分けておく必要があります。
手島が教職を選んだ具体的な理由について、公式に明確な答えが示されているわけではありません。
一方、Febriの対談では、とよ田みのるさんが手島を「こうなっていたかもしれない自分」と説明しています。
とよ田さん自身、漫画家人生の途中で心が折れ、漫画家を辞めても不思議ではないほど打ちのめされた時期がありました。
それでも立ち上がったから、現在まで漫画を描き続けている。
もし、あのとき立ち上がれなかったら。
もし、漫画家を辞めて別の人生を歩んでいたら。
その「ifの自分」を投影したのが手島零だと、とよ田さんは語っています。
参考:
Febri 原作・とよ田みのる×監督・赤城博昭 対談②
だから教師になったことを「漫画から逃げるため」とまで断定することはできません。
ただ、漫画家としての人生が終わったあとにも、別の仕事をし、別の場所で人生を続けてきたことは確かです。
夢が終わっても、人の人生は終わらない。
では、「ロストワールド」という題名は、そんな手島の何を「失われた世界」と呼んでいるのでしょうか。
「ロストワールド」の意味とは?手島零が失った世界を考察
手島零の過去編につけられたタイトルが、「ロストワールド」です。
直訳すれば「失われた世界」。
公式に意味が一つへ限定されているわけではありません。
だからこそ、手島の人生を知ると、いくつもの「失われたもの」が重なって見えてきます。
- ☆野0として漫画を描き続けるはずだった未来
- 漫画をただ楽しいと思えていた時間
- 漫画を描けば未来へ進めると信じていた自分
その中でも特に大きいのは、漫画をただ好きでいられた世界ではないでしょうか。
漫画そのものは失っていません。
漫画を読むこともできる。
安海たちに描き方を教えることもできる。
でも、「描きたいから描く」と何の迷いもなく言えた場所には、簡単に戻れない。
「ロストワールド」とは漫画家という職業だけでなく、漫画との幸福な関係そのものを失った物語とも読めます。
そしてアニメ版では、この失われていく手島の世界と、これから広がっていく安海たちの世界が意図的に重ねられています。
アニメでは安海と手島が正反対の「まんが道」として描かれる
アニメ版では、「ロストワールド」を現在の安海たちの物語へ少しずつ重ねる構成が採用されています。
赤城博昭監督は、この方法をシリーズ構成・脚本の福田裕子さんが考案した「ロストワールド ミルフィーユ作戦」と説明しています。
現在の安海たちは、漫画を描くことで仲間と出会い、世界を広げていく。
一方、過去の手島=☆野0は、創作の世界で苦悩し、挫折していく。
赤城監督も、この二つの物語を対比する構造として語っています。
参考:
Febri 原作・とよ田みのる×監督・赤城博昭 対談②
安海にとって漫画は、世界を開くもの。
手島にとって漫画は、一度世界を閉じてしまったもの。
同じ「描く」という行為が、一人を未来へ連れていき、もう一人を過去へ連れ戻す。
この対比があるから、『これ描いて死ね』は単なる漫画部の青春物語では終わりません。
漫画を描く喜びだけでなく、その喜びを仕事にした先にある苦しさまで描くこと。それが、この作品の大きな魅力です。
作品全体の評価や、「なぜこれほど創作好きに刺さるのか」を詳しく知りたい方は、『これ描いて死ね』はつまらない?評価・魅力を徹底解説|高木さん・ワンピース・きららジャンプとの関係もでも掘り下げています。
では、なぜ手島の挫折はここまで生々しく感じられるのでしょうか。その理由は、作者・とよ田みのるさん自身の経験にあります。
手島零の過去は作者・とよ田みのるの実話なのか
手島の挫折を読んでいると、妙に生々しいと感じる場面があります。
創作がうまくいかない焦り。
漫画家として生きていけるのかという不安。
自分の限界を突きつけられる感覚。
その理由は、手島の物語に作者自身の経験が深く流れ込んでいるからです。
とよ田みのる「手島先生の部分は大体実話」
『これ描いて死ね』がマンガ大賞2023を受賞した際、とよ田みのるさんはMANTANWEBの取材で、
「手島先生の部分は大体実話です。」
と明かしています。
さらに、自身の新人時代に「死にそうだった」と感じた気持ちを手島へ乗せていることも語っています。
もちろん、これは「手島零=とよ田みのる本人」という意味ではありません。
手島という人物の人生はフィクションです。
しかし、その奥にある苦しさには、現実の漫画家が経験した感情が流れています。
手島零は「漫画家を辞めていたかもしれない作者自身」
さらにFebriでは、この関係がもっとはっきり説明されています。
とよ田さんは手島を、
「こうなっていたかもしれない自分」
と表現しています。
一度心が折れたとき、立ち上がれず漫画家を辞めていたら。
挫折を抱えたまま、違う人生を歩いていたら。
その可能性を形にした人物が手島零です。
つまり手島は単なる「失敗した漫画家」という役割のキャラクターではありません。
現役漫画家である作者が、自分の人生から枝分かれしていたかもしれないもう一つの道を見つめた存在なのです。
手島零の苦しさが生々しいのは、作者自身が実際に立っていたかもしれない分岐点から生まれた人物だからです。
そして、その「失われた漫画家人生」の前に現れたのが、手島の作品を心から愛している安海相でした。
安海相は、手島零が失ったものを映す存在
ここまで手島の過去を知ると、安海相との関係も違って見えてきます。
安海は、手島がかつて描いた『ロボ太とポコ太』を心から愛しています。
そして、その漫画に心を動かされ、自分でも漫画を描き始めました。
つまり手島が「終わった」と感じていたかもしれない漫画家人生は、読者である安海の中では終わっていません。
作品は作者の手を離れたあとも残り、誰かの心を動かし、その人の次の物語へつながっていく。
手島が意味を見失った過去に、安海は「意味があった」と返してくれる存在なのです。
安海を見ることは、かつての自分を見ることでもある
安海はまだ、漫画を職業として背負っていません。
ただ描きたい。
面白いものを作りたい。
完成したら誰かに読んでほしい。
その気持ちでペンを握っています。
それは、かつての手島も持っていた感情でしょう。
アニメ第7話の公式あらすじでも、手島は漫研メンバーの姿に、漫画家を目指していた頃の自分を重ねています。
だから安海たちを見ることは、手島にとって昔の自分を見ることでもある。
嬉しいだけではない。
きっと、少し痛い。
かつて自分にもあった光が、目の前であまりにも無邪気に輝いているからです。
ポコ太もまた、手島から安海へつながった物語の象徴
そして安海のそばにいるポコ太も、この関係を考えるうえで興味深い存在です。
安海にとって『ロボ太とポコ太』は、単に好きな漫画というだけではありません。
作品世界が彼女の心の中まで入り込み、日常や創作を支えるほど大切なものになっています。
手島が過去に描いた物語は、それほど深く一人の読者へ届いていたのです。
ポコ太の正体や安海との関係については、『これ描いて死ね』ポコ太はたぬき?正体と安海相との関係をアニメから解説で詳しく整理しています。
そして、安海から返される「あなたの漫画には意味があった」という事実は、手島の再生を考えるうえで重要になってきます。
手島零の再生は「漫画家に戻ること」だけではない
手島零の物語を「またプロ漫画家になるのか」という一点だけで読むと、大切な部分を見落としてしまう気がします。
彼女に必要なのは、必ずしも再デビューではないでしょう。
新しい連載でもない。
ヒット作でもない。
もっと小さくて、もっと難しいこと。
漫画を好きだった自分を、もう否定しなくてよくなること。
描いていた時間に意味があったと知ること。
『ロボ太とポコ太』が誰かへ届いていたと受け止めること。
それだけでも、手島にとっては「失われた世界」と和解する大きな一歩になるはずです。
安海が手島へ返しているのは、漫画家という肩書きではありません。
かつて漫画を描いていた自分自身を、もう一度見つめるための小さな光なのだと思います。
そしてこの「命を懸けるほど描いた人」と「描く喜びを取り戻していく物語」を知ると、作品タイトルそのものの響きも変わってきます。
『これ描いて死ね』というタイトルは、手島零を知ると意味が変わる
『これ描いて死ね』という強烈なタイトルは、とよ田みのるさんが連載前、自分自身を鼓舞するためアイデアノートへ書いた言葉から生まれました。
COMITIAのインタビューでも、とよ田さんは「漫画家の漫画」を描くにあたり、自分が何を考えて漫画を描いているのかを考えた末、この言葉が出てきたと説明しています。
最初は、
「全部出し切れ」
「死ぬ気で描け」
という創作者への檄にも聞こえます。
しかし、手島零という人物を知ると、タイトルにはもう一つの顔が見えてきます。
命を懸けるほど本気になることは、美しい。
でも、本当に自分を壊してしまってはいけない。
とよ田さん自身も、手島のような描き方を簡単には肯定も否定もできない葛藤を語っています。
つまり『これ描いて死ね』は、単純な熱血スローガンではありません。
描くことへの猛烈な愛と、その愛に焼かれてしまう怖さ。
その両方を抱えた言葉なのです。
タイトルに、なぜあえて「死ね」という強い言葉が使われているのか。作品全体からさらに掘り下げたい方は、『これ描いて死ね』というタイトルの意味は?なぜ「死ね」なのか作品テーマから考察もあわせてご覧ください。
まとめ|手島零が漫画から離れた理由は、夢の中で心が折れたから
『これ描いて死ね』の手島零は、漫画を知らないから否定する教師ではありません。
かつて「☆野0」として漫画を描き、『ロボ太とポコ太』を世に送り出した人です。
手島零の過去と漫画から離れた理由まとめ
- 手島零の正体は元漫画家「☆野0」
- 安海が愛読する『ロボ太とポコ太』の作者
- 23歳の頃には漫画家を目指し、へびちか先生のアシスタントも経験した
- 漫画へ命を懸けるほど自分自身を追い込むタイプだった
- 漫画を仕事として続ける厳しい現実の中で苦悩した
- 作者自身が、手島を「破滅しちゃった人」と説明している
- 単純な才能不足だけで漫画から離れたわけではない
- 手島には、とよ田みのる自身の新人漫画家時代の経験が強く投影されている
- 安海は、手島の漫画が誰かへ届いていたことを証明する読者でもある
手島は、夢を持てなかった人ではありません。
夢を叶えた人です。
ただ、その夢の中で深く傷ついてしまった。
だからこそ、楽しそうに漫画を描く安海たちの姿は、手島にはきっと眩しすぎるのでしょう。
でも、目を背けきれない。
自分が昔描いた漫画を、ずっと大切にしてくれた少女が目の前にいるからです。
『ロボ太とポコ太』は、作者である手島の手を離れたあとも、安海の中で生き続けていました。
そして今、その物語に心を動かされた少女が、新しい漫画を描こうとしている。
あの頃の手島が引いた一本の線は、何年もあとになって、誰かの未来へつながっていたのです。
好きだったから、傷は深かった。
けれど、心を震わせた物語は、描いた人がその価値を見失っても、読んだ人の中で生き続けることがあります。
手島零の過去を知ると、『これ描いて死ね』は漫画家になる物語だけではなく、一度失った「描く喜び」と、もう一度出会い直していく物語にも見えてくるのです。
『これ描いて死ね』手島零の過去に関するFAQ
手島零の正体は誰ですか?
手島零は、かつて「☆野0」という名前で漫画を描いていた人物です。安海相が愛読する『ロボ太とポコ太』の作者で、現在は王島南高校で国語教師をしています。
手島零はなぜ漫画を描けなくなったのですか?
単純な才能不足ではありません。漫画に命を懸けるほど自分を追い込み、さらに漫画を職業として続ける厳しい現実の中で心が折れたことが大きな背景です。作者・とよ田みのるさんも、手島をそのような気持ちで描いて「破滅しちゃった人」と説明しています。
手島零は漫画が嫌いになったのですか?
漫画そのものを完全に嫌いになったと断定することはできません。現在も安海たちへ漫画制作の基礎を教えており、漫画への思いが完全に消えた人物としては描かれていません。むしろ、漫画への思いが強かったからこそ距離を置いたと読むことができます。
手島零はなぜ「プロを目指すな」と言うのですか?
漫画を描くことと、漫画を職業にして収入を得ながら生活することは別だからです。とよ田みのるさん自身も手島の考えに同意しており、漫画家という仕事の厳しさまで伝えるために「ロストワールド」を描いたと説明しています。
手島零は作者・とよ田みのるがモデルですか?
手島零がそのままとよ田みのるさん本人というわけではありません。ただし作者は、手島を「こうなっていたかもしれない自分」と説明しています。また、手島の新人漫画家時代について自身の経験が強く反映されていることも明かしています。
「ロストワールド」とはどういう意味ですか?
直訳すると「失われた世界」です。公式に意味が一つへ限定されているわけではありませんが、☆野0として漫画を描き続ける未来、漫画を純粋に楽しめた時間、漫画を信じていた頃の自分など、手島が失ったものを象徴していると考えられます。
『ロボ太とポコ太』の作者は手島零ですか?
はい。手島零=☆野0は、安海相が大好きな『ロボ太とポコ太』を描いた人物です。その作品は安海にとって非常に大きな存在となり、彼女自身が漫画を描く物語にもつながっています。
情報ソース・参考資料
本記事では、手島零の過去や作者の意図について誤った断定を避けるため、TVアニメ『これ描いて死ね』公式サイト、原作者・とよ田みのるさん本人へのインタビューを中心に参照しています。特に、手島が漫画から離れた背景については、作者本人が「破滅しちゃった人」と語ったCOMITIA公式インタビュー、漫画家という職業の厳しさや「ifの自分」について説明したFebriの原作者・監督対談、手島の新人時代について自身の経験を「大体実話」と明かしたMANTANWEBの記事を重要な資料として使用しました。なお、「ロストワールド」が象徴するものや安海を見た手島の内面など、公式に一つの答えが示されていない部分については、作中描写をもとにした考察として区別しています。
- TVアニメ『これ描いて死ね』公式サイト「あらすじ」
https://www.vap.co.jp/korekaite-shine/story/
手島零=☆野0であること、安海相と『ロボ太とポコ太』の関係、漫画家を目指していた頃の手島、23歳でへびちか先生のアシスタントになった第7話の内容など、アニメ版の公式設定確認に使用しています。 - Febri|『これ描いて死ね』の原点に迫る! 原作・とよ田みのる×監督・赤城博昭 対談②
https://febri.jp/topics/korekaite_interview_2/
漫画を描くことと漫画で生計を立てることの違い、「プロを目指さないこと」という手島の忠告に込められた考え、手島が「こうなっていたかもしれない自分」であるという作者の説明、アニメにおける「ロストワールド ミルフィーユ作戦」の意図を確認するために参照しています。 - COMITIA|Creator’s Story とよ田みのる
https://www.comitia.co.jp/history/144creators.html
『これ描いて死ね』というタイトルが生まれた背景や、手島零が漫画に命を懸けるような創作姿勢によって「破滅しちゃった人」であり、現在はその描き方を良くないものとして生徒へ教えているという作者本人の説明を確認するために使用しています。 - MANTANWEB|マンガ大賞2023 とよ田みのるインタビュー
https://mantan-web.jp/article/20230327dog00m200023000c.html
とよ田みのるさんが「手島先生の部分は大体実話」と説明し、自身の新人漫画家時代に「死にそうだった」と感じた気持ちを手島へ乗せていることを確認するために参照しています。
記事内の考察について
本記事では、「手島が教師という仕事を選んだ具体的な心理」「ロストワールドという題名が象徴するもの」「安海を見た手島の内面」など、公式に答えが限定されていない部分について考察を含んでいます。これらは公式設定や作者・制作陣の発言を土台にしつつ、事実とは区別して記載しています。


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